活動報告

2019年活動報告

恒例の大相撲初場所へ校友十名と応援観戦へ行ったら、天皇皇后両陛下平成最後の天覧試合でした

 平成三十年一月二十六日、大相撲初場所中日、幹事である私は集合時間の午後1時より一時間早く両国国技館前に待機しました、もう三十分たったら支部の小旗を出して校友の到着を待つつもりでした。しかしながら、入口前の雰囲気が何時もとは大きく違っていることに気が付きました、中を見ると金属探知機のゲートはあるは、バックの中は調べられるし、身体検査も、警戒が厳重となっていました。程なく集まった校友は誰となく「天覧試合」ではないか、と言い出した、天覧試合は警備の関係で公開はしていないはず、程なく参加校友全員が集まり、私は皆と一緒に茶屋を通って二階椅子席に案内してもらい、聞いたらやっぱり「天覧試合」との事、無神論者の私ですが思わず私はこの幸運を神に感謝しました。
 これから約五時間応援する西の二階席に座ると、左斜め四十五度に見える二階正面ロイヤルボックスは掃除中で、そして映画マトリックスにある様な黒いブレザー制服と黒のネクタイとサングラス姿の警護官が二百名程、両陛下がお見えになるまで一階二階の席の間を歩き廻って警備していました。
 両陛下がお見えになる中入り後まで気はそぞろで、校友の力士の取り組みも気が入りませんでした。
 やがて二百名ほどの警備官がロイヤルボックスの三面の座席に着くと、両陛下がお見えになり、そして立ち上がった一階席に座っている観戦者から「お゛――」と、まるで底から竜巻のようなすごい歓声が上がり、二階席の私達も歓声をあげ、両陛下はそれにお応えになりました。
 両陛下がお見えになってから、取り組みの関取たちがいつもより気が入っていたのは、私の思い違いでは無いとおもいました。
 やがて全取り組みが終わり弓取り式の後、誰言われることなく全員が立席して大歓声が上がり、両陛下がご退席するまで歓声はやみませんでした。
 その日本当に幸運な応援観戦となりました、神に感謝です、私はその高ぶる気持ちを持ったまま帰宅の道につきました。
 ところでこの原稿を書いているとき、テレビから校友の「朝の山」が入幕後たった三年で優勝したことを伝えた。誠に御目出度く、同じ校友として誇らしく思います。その夏場所千秋楽高砂部屋打ち上げ会 に参加させていただき、会場の両国第一ホテルはファンと驚くほどの人数のマスコミ各社に人が溢れかえっていた、私は伊勢ケ濱部屋の打ち上げ会にも参加していて、掛け持ちの嬉しい疲れに酔いしれました。我が東京支部と全国の校友にエールを送り筆をおきます。

記:昭和51年農学部水産卒 志賀 良典

令和元年高砂部屋ちゃんこ会

 朝の山関優勝おめでとうございます!
 優勝の興奮をそのままに6月6日東京支部主催の高砂部屋ちゃんこ会は開始時間午後6時にも拘わらず、優勝の喜びさめやらぬ校友参加者全員、5時半には高砂部屋に集まり、開始時間を早めて始まりました。朝の山関とのツーショット写真に校友が次々に収まり、角界一美味しいちゃんこ(国技館での各部屋のちゃんこ売り上げ第一位)をご馳走になり、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
 高砂親方、女将さん、松田マネージャー、ありがとうございました。来場所の高砂部屋の関取、力士の活躍を祈念し3本締めで幕を閉じました。

記:昭和46年経工卒 宮川 正博

ちゃんこ会

八ゑ場de国立演芸場

 2019年6月5日(水)19:00~21:30令和初の独演会が開催されました。今回は本人の弁をかりれば組分の原点である「柳家」を意識した落語会との事でした。八ゑ場は亭号が「鈴々舎」ですが一応流派は「柳家」との事。柳家にあこがれて落語会に入ったようです。ゲストも柳家のスーパースターである柳家喬太郎師匠と今二つ目で一番柳家の王道を歩まれている柳亭市弥さんでした。柳家喬太郎師匠の落語は気合の入っているパワーあふれるもので大笑いでした。八ゑ場さんも二席の落語をやりましたが最後の落語は一段と腕を上げたものでした。参加者は300名で満席御礼でした。校友会の皆様も是非とも八ゑ馬を応援してください。尚八ゑ場の略歴を書いておきます。
19年2月 鈴々舎馬風に入り
19年8月 前歴となる 前座名やえ馬
23年11月二つ目昇進「八ゑ馬」と改称

記:昭和45年経卒 前 和久

八ゑ場de国立演芸場

宝富士関結婚披露パーティー報告

 平成31年2月16日ホテルニューオータニにて宝富士関の結婚披露パーティーに大学校友として参加いたしました。
 あたりまえのことなのですが横綱白鵬関や先日引退された日馬富士関もいらっしゃり一人大興奮です。
 本校校友会西村会長のお花もありお祝いモード全開です。
 式ではお互いのなりそめやその後のお付き合いの話の紹介があり宝富士関が猛烈にアタックされたエピソードが印象的でした。
 ご長男もすでにご誕生でお色直しの時には3人での入場もされました。
 お料理もとてもおいしくいただきまたアトラクションも楽しくあっという間のお開きとなりました。
 それからの宝富士関の戦績ですが3場所連続で勝ち越しをしており御結婚が鍵であることは間違いありません。

記:平成1年法卒 石原 康裕

結婚披露パーティー

令和元年五月場所
東前頭六枚目
宝富士 大輔
8勝7敗
平成三十一年三月場所
西前頭七枚目
宝富士 大輔
8勝7敗
平成三十一年一月場所
東前頭十枚目
宝富士 大輔
9勝6敗

今後ますますの活躍とご家庭にご多幸がありますように。

一木会ゴルフ日記

 第84回ゴルフコンペは、令和元年5月28日(火)神崎(こうざき)カントリー倶楽部(千葉県)での伊勢ヶ濱部屋チャリティーゴルフコンペの中で、一木会ゴルフコンペとし、6組23名の参加で、我々は、OUTコースの1組目と6組目から8組目までとINコースの6組目から8組目で、ゴルフコンペ全体の参加としましては、53組193名となり、もちろん貸切のゴルフコンペでした。
 一木会の参加は、14名で、成績は、優勝(グロス98ネット66)の渡辺よし子さんで、準優勝(グロス94ネット72)の田中一枝さんで、二人とも毎回参加のゲストの方でした。ブービーは、三上さんでした。
 伊勢ヶ濱部屋チャリティーゴルフコンペの成績は、新ぺリア方式で、校友の佐藤敏雄さん(グロス97ネット71.8)が12位、校友の雪吹さん(グロス105ネット72.6)が20位、50位までは、ゲストの堀上さん、ゲストの瀧澤さん、冨田、校友の久保さん、相談役の宮川さんが入りました。そして、ゲストの渡辺桂四郎さん(グロス104ネット75.2)が、63位でした。伊勢ヶ濱親方が63代横綱なので、63位の賞品50万円相当のパールのネックレスをゲットしました (大拍手)。
 伊勢ヶ濱部屋チャリティーゴルフコンペの優勝は、グロス92ネット68.0の方でした。グロス70台が6人、グロス80台が21人、ベスグロは72でした。
 ゴルフコンペのプレイ終了後は、いつも通り伊勢ヶ濱部屋のちゃんこをいただくことが出来ました。プレイ終了後のパーティでは、参加者が集まるまでの時間、恵津子さんというCDを出している歌手の歌の披露がありました。表彰式では、優勝から順にすべての方が、参加賞を含め、賞品をいただきました。
 次回の伊勢ヶ濱部屋チャリティーゴルフコンペは、令和元年9月場所(東京)の千秋楽後に実施される予定です。
 次回以降も大いに参加を募りますので、ゲスト参加を含め、連絡をお願いいたします。

記:昭和48年卒理工学部原子炉工学科卒 冨田 久夫

一木会ゴルフ日記

一木会ゴルフ日記

お花見

 恒例の代々木公園花見会に参加しました。
 その日天気は曇りがちではありましたが、かえって涼しくて陽射しもなくラッキーでした、JR原宿駅内は代々木公園で花見をする多くのお客さん達でごった返し、イモ洗い状態でした、公園の中に入っても人が溢れ、参加する校友と携帯で話し合うのですが中々校友に会えず迷子になりそうになった時、校友の石原さんと奥様に声を掛けて頂き、やっと青いシートの上に半分程集まっているメンバーにたどり着きました。桜は3~4分咲きでとても綺麗で花見にはちょうど良い時期ではありました。私は東京に来たばかりで、校友会の事業に参加するのは初めてでしたが、程なく集まった参加者といろいろ話ができて皆優しく接して下さり、馴染めるのに時間は掛かりません。各自持ち寄ったお酒と御つまみを交換し合い話も弾み否応なりとも盛り上がり、良い雰囲になりました。やがて時がたち、6月5日に国立演芸場で独演会をされる鈴々舎八ゑ馬さんの謎かけで終わりました。締めは全員立って「近代節」を歌って解散となり、片付けは若い人たちが率先して行い、きれいにゴミ一つ残さず、さすが近大卒業生は違うなーと思いました。今度また行事がありましたら、また参加させて頂きたいと思います。

記:平成5年 法卒 内山 久美子

お花見

校友会ハイキング『石老山』

 前日より天気予報は、雨マークでした。家を出る朝方は少し雨が降っていました。
 JRの相模湖駅に着いてからは、曇り空のなかを時々太陽の光が差し込むまでになってきました。
 集合時間の10時30分には松元支部長を始め11名の参加となりました。
 さっそくバス停へ移動し、10時35分発のバスに乗りました。
 「石老山登山口」で降車して,集合写真を撮りました。
 車道の端を歩きはじめて、間もなくコースを外して、皆様に200メールほど、コース案内図のあるところまであと戻りさせるという失敗をしてしまいました。
 山道に入る所から顕鏡寺まで、別ルートで行かれた方がいましたので、顕鏡寺で小休止し待ち合わせしました。神田校友に先頭をお願いして、私は最後についていきました。77歳の播磨大先輩も参加していただき、各自のペースに合わせて登りました。
 融合平見晴台での休憩とその後、樹林の緩やかな登りで途中の1回の休憩で、山頂に着くことができました。13時少し前に着き各自昼食をとりました。
 頂上からは、丹沢の山々、雲に見え隠れしながら富士山を眺めることができました。
 山頂で集合写真を撮りました。私は702メートルの山頂まで、高齢者にとっては厳しい登りがあり汗をかいたシャツで身体が冷えないよう注意しました。
 頂上より別ルートの分岐まで迷い込まないよう注意しながら進みました。神田さんが先頭で途中2回休憩をしました。展望台まで整備された道を進み、ここから車道まで暗い苔むす谷間の道をゆっくり注意して歩きました。谷を抜けてうるり温泉まで明るい車道を車に注意していきました。15時半頃「うるり」温泉に着き、40分で温泉に入り、「食事処」に集合することを決めました。温泉は高濃度炭酸泉で身体じゅうに小さな気泡が付いていました。疲労回復の効能とあり、参加者の体調の回復を願いました。
 「食事処」ではビールで乾杯して、参加者11名の自己紹介(名前、学部,出身地等)をしていただきました。その後、あわただしく、支払いを済ませて、バス停へ10分ほど歩いて行きました。17時10分のバスは立ち席で揺られながら相模湖駅に向かいました。
 前和久先輩より、反省会が不十分とのことで、相模湖駅近くの居酒屋で、ビール等、料理で夕食を兼ねる飲み会となりました。各自の近況を話していただき、また今回のハイキングは「登山できつかった。」との声をいただき、ケーブルカーの利用、もう少し楽な所が良いとのことでした。
 今回も大きなトラブルも無く終えることができました。参加していただきました皆様ありがとうございました。
 次回は日の出山(御岳山のケーブルカー利用)を考えています。

記:昭和50年法学部卒 尾上 良和

校友会ハイキング『石老山』