活動報告
2012年活動報告
一木会「夏合宿」
今年の一木会夏合宿は、例年のごとく、2012年7月19,20日に千葉夷隅ゴルフクラブと米原ゴルフ倶楽部で開催されました。
当方19日は、仕事の都合で、伊丹空港から羽田空港に移動し、午後のバスで羽田空港からアクアライン経由で五井まで行き、その後小湊鉄道で、高滝駅に行き、そこで、米原ゴルフ倶楽部の方にピックアップしてもらい、米原ゴルフ倶楽部に到着しました。
五井からの小湊鉄道は、養老渓谷まで2両か1両の運行で、30分に一本程度の鉄道です。途中の高滝駅まで40分ほどの小旅行で、運賃は890円と少し高めでしたが、水田地帯をのんびり走り、私が下車したあとの車両には、乗客が3人と車掌と運転手でさみしいもので、運賃が高いのも仕方がないと感じました。
ここで、高滝駅でのピックアップの連絡をしていただきました上手先輩、お手配いただきました平尾社長に御礼申し上げます。
夏合宿一日目は、千葉夷隅ゴルフクラブで開催され、参加者は、10名でした。
優勝は、佐久間さん、成績は、グロス96、HDCP22.8、NET73.2でした。特別賞のDC(恒例の1番と10番)は、佐久間さん、宮川厚子さん、NP(すべてのショートホール)は、宮川厚子さん、松本さん、田中さんでした。BGは、92で富樫さん、渡辺紘生さんでした。
一日目の表彰式を兼ねた夕食は、17時30分から米原ゴルフ倶楽部のコンペルームで開始され、お刺身、鮎の塩焼き、ステーキありの豪華版でした。当日の司会役は、プレイをしなかった冨田が務めました。まずは、乾杯から始まり、優勝者、特別賞の発表、そして一日目の優勝者の佐久間さんの弁がありました。途中で千葉夷隅ゴルフクラブからの差し入れの焼酎を堪能し、優勝者の佐久間さんは、その焼酎をたくさん飲んだ結果、二次会は、フラフラでした。
一日目の二次会は、宿泊のロッジに場所を変えて、全英オープンゴルフのテレビ観戦でした。石川遼のパットの一打、一打について、ワイワイガヤガヤ、「俺なら外さないなー」とか「俺とおんなじに入った」とか、みんな一日目のパットを思いながらの談義でした。お酒は、二次会の追加の焼酎の残りと藤井さんからの差し入れの焼酎を飲み、さらに上手先輩の奥さんの手製の6年物の梅酒が出され、とても素晴らしい濃厚の味わいのものでした。
夏合宿二日目は、米原ゴルフ倶楽部で開催され、参加者は、11名でした。
優勝は、冨田、成績は、グロス90、HDCP15.6、NET74.4でした。特別賞のDC(恒例の1番と10番)は、二つとも藤井さん、NP(すべてのショートホール)は、藤井さん、冨田、佐久間さんでした。二日目は、昨夜の特別ゲストからの差し入れがあり、7位平尾社長、ブービー田中さんが対象となりました。BGは、藤井さんの89でした。
二日目の気候は、一日目の熱々の気温から10度以上下がり、一日中曇りで、半袖では少し寒さも感じる時もあり、さらに後半一ホールは、かなり強い雨に見舞われました。最後の組は、二日目だけの参加の中谷さん、朝4時半自宅出発で、最後は、雨にもあたりお疲れ様でした。
二日目の表彰式を兼ねたパーティは、ワンドリンク(アルコールでもノンアルコールでもOK)付きの料理は、お寿司、炒めもの、最後には、骨付き肉が出ました。二日目も乾杯から始まりましたが、今日は、車で帰る人が大半だったので、アルコールは二人だけで、表彰式は、優勝、特別賞の発表、冨田からの優勝の弁と滞りなく終了しました。
今まで名前の載らなかった方々を紹介しますが、二日間共に準優勝だった富樫さん、女性で二日間共に参加していただいた渡辺よし子さん、大変お疲れ様でした。
来年も今年同様に夏合宿を行う予定ですので、今年の参加者はもちろんゴルフに興味のある方々の参加をお願いいたします。
昭和48年理工学部原子炉工学科卒 冨田久夫
「歴史の街・岩槻ウォーキング」報告書
―近畿大学校友会東京支部主催で「歴史の街・岩槻ウォーキング」を開催。歴史と桜の風景を楽しみながら、ゆっくり城下町・岩槻を歩きました。
―開催日時及び場所:平成24年4月15日(日):さいたま市岩槻区内
―参加者:宮川正博、奥様、松元潤一、佐久間勝、上手峰幸、丸岡國豊、上田彰一郎の7名
―時間:9時30分東武岩槻駅前~各(寺社)~岩槻城跡~酒屋見学~岩槻駅解散15時30分
―その他:ガイドマップ・DVDは参加者に配布
「歴史の街・岩槻というところ」
城下町である岩槻(さいたま市岩槻区)の歴史を巡る散策が静かな人気を呼んでいるという。本来は、岩槻のガイドを務める方に案内してもらったほうがより楽しませてくれると思いましたが、参加人数の問題で残念し、案内地図を頼りに天気は快晴。桜名所は見ごろ、人形の町・岩槻を校友の方々は笑顔でゆっくり歩きました。
「桜名所の岩槻街道をぶらりぶらり歩きながら」次のようなことを考えていました。
『色(いろ)は匂(にお)へど散(ち)りぬるをわが世(よ)たれぞ常(つね)ならむ』『有為(ゆうい)の奥山(おくやま)けふ越(こ)えて浅(あさ)き夢見(ゆめみ)じ酔(よ)いもせず』
物事のイロハをわきまえている日本人ならば誰でも知っているこの歌には、ちょっと変なところがあります。真っ先に「花」のことを「色」といって、そんな色などすぐに散って消えてしまうはかないものだとか、無いようなものだというのです。本当だろうか? だいたい身の周りをちょっと見渡せばすぐに分かるように、この世の中の全てのものは、かたちあるものとともにあります。われわれ日本人は世界最古の象形文字を使って世界最新の科学技術を切り開いてきたのではないか。それなのになぜかたちないものと等しいというのだろうか?さては、すぐはかなく姿を変えては消える野山の雪や月や花のことであって、人間が作ったものではないのだろうか。そんなはずはない。野山を駆け回る馬や鹿と違って、人間は色々な道具で、あったかい服を縫い、栄養のある食物を作り、丈夫な家を建てて安心して生きてきました。大切なものは、はかない雪月花ではなく、しっかりした「かたち」のある衣食住であると思います。それにもかかわらず、かたちをないものと考える日本の文化の、ときにはこっけいでもある矛盾や謎(ミステリアス)。消えることのないかたちを探しに行こうではありませんか。このぶらりぶらりの岩槻街道の先には、まだ何かあるような気がしました。
「岩槻街道」〈岩槻支台と縄文海進が織り成す歴史模様〉
大名・国人領主が領地紛争戦を繰り返していた戦国時代、道は武将らの行軍路であり、商人が行き交う流通ルートでもありました。岩槻街道の場合、江戸幕府は慶長9(1604)年から日本橋を起点に主要五街道(東海道、甲州街道、中山道、奥州街道、日光街道)整備します。その主要街道の一つの「中山道」の支街道で古くは鎌倉街道とよばれ、岩槻城に至る道であることから岩槻街道と呼ばれた。話は江戸時代、将軍が日光東照宮へ社参する際に利用された街道で日光御成街道とも呼ばれる。
「道案内」
起伏とんだ台地を社参行列が行く。
このコースの全長はおよそ10km、関東ローム層台地の道を旗本、譜代あわせて133,000人がフル軍装で参加した。使われた人足228,000人、使った馬は326,000頭及び費用は、現在の貨幣価値に換算すると200億円前後に相当します。(日光街道の全長は140km)
「道草」(資料館尽くし、買い物尽くし)
岩槻郷土博物館・酒蔵資料館(鈴木酒造)
昭和47年商学科卒 上田彰一郎
高砂部屋チャンコ鍋
6月1日(金)に、東京支部恒例の高砂部屋ちゃんこ鍋会を開催しました。
いつもながら、多くのゲストの方々のご参加を賜り賑やかな楽しい会になりました。
高砂親方、松田マネジャー、若い力士の皆様にお世話になり感謝申し上げます。名古屋場所では、朝天舞、朝弁慶、両君が幕下で勝ち越しを決め、次回東京9月場所では幕下上位での活躍を期待しております。
左から朝ノ土佐(あさのとさ)、朝興貴(あさこうき)、佐久間校友、朝弁慶(あさべんけい)、上手校友
気の良い力持ち
大相撲五月場所明けの5月22日(火)に伊勢ケ浜部屋のチャリティゴルフコンペが、千葉県のヌーヴェルゴルフ倶楽部にて、開催されました。当日はあいにくの雨模様の中でしたが、140名の参加者が集い、熱戦を繰り広げました。近大OB関取の宝富士、誉富士両君も参加しました。宝富士君は上手組にそして初出場の誉富士君は宮川支部長組に組み合わされ、私(田中)は宮川組に入り一日を楽しく過ごしました。
誉富士君は初参加との事なのでどうなる事かと心配しましたが、流石はスポーツマン何球か打っている内に、さまになって来るのには驚きました。支部長が他所で恥を書かないようにとルールとマナーを再三教えていましたが、素直に「ハイ、ハイ」と聞き判らない事は質問を繰り返していました。
もとより初出場なのでミスが多くスコア的にはまとまりませんが、最後まであきらめず努力していましたし、時折目を見張る様なショット、パットもあり将来性を感じさせました。本人曰く「私は、かっこうから入る方なので、まず、そこそこの道具をそろえて練習したい。」と言っておりました。今回は、貸道具だったので次回が楽しみです。
雨で残念ながら、若き良き後輩の素直で気の良いパワフルな誉富士君と楽しくラウンドできた事を報告します。上手先輩に聞くと宝富士君もおなじように素直で気が良いとの事、大学のクラブでの教育と伊勢ケ浜親方そして部屋の教育のたまものと思います。
今後の二人の活躍を祈りながら、ご報告のペンを置きます。
昭和40年機械工卒 田中宏
近畿大学東京事務所で校友噺家の寄席を開催
平成24年10月6日(土)午後6時30分より東京事務所4階で校友、ゲスト25名が集合して、月亭八天(昭和61年卒)校友と鈴々舎八重ゑ馬(平成13年卒)校友を招いて寄席を開催しました。
東京事務所に設置した仮設高座で事務所のかたい雰囲気で始まりましたが、八ゑ馬君の元気な落語から始まりやがて八天さんの名人芸がみんなを笑いの世界へ引き込んでいきました。
又終了後は居酒屋で二人と伊勢が濱部屋の誉富士関(平成20年卒)を囲み酒を酌み交わし楽しい時間を過ごしました。
鈴々舎八重ゑ馬(平成13年卒)
月亭八天(昭和61年卒)
第67回一木会ゴルフコンペの報告
平成24年10月25日(木)千葉県真名カントリークラブで秋晴れの中、女性ゲスト5名を迎えて熱戦を繰り広げました。結果は女性ゲストの優勝となりましたが、久々に参加の松永前支部長(昭和37機械卒)が実力のべスグロを獲得して、惜しくも準優勝という結果になりました。